民団(在日韓国人をサポートする団体。北朝鮮系在日にとっての朝鮮総連にあたる)のHPに、神奈川県川崎市で、一人の在日の職員がケースワーカーになることを希望しながらも、在日であるというだけで市に希望を拒否されていることが書いてある。
「当然の法理」へ挑戦今年もという題名がつけられていることから、在日にとっては希望する部署で働くことは当然で、そうなってない状態を「差別」と捉えていることが伺える。
まず、これはぜんぜん差別ではない。
本来は、在日が公務員をやっているのもおかしいのではないか?
おそらく「在日が公務員になれないのは差別」と騒いだ前段階があったはず。
そして、市は在日の公務員を認めたが、それでも国籍が韓国・・・つまり外国人なので、つける部署は限られているという制約をつけた。
そして、この金本大祐さんも、重々それを承知で、市に就職した。
が、必ずこういうこと・・・好きな部署にいられないことは差別だ・・・を後になって言い出し、さらなる権利をもぎ取ろうとするのが、在日だ。
日本人であっても、好きな部署に希望どうりにつくのは難しいのが現実だというのに。
日本人はこう思わなくてはならない。
「親切でやってやったことをありがたいと思えないのなら、普通に彼の希望を拒絶する。我々は、韓国人を信用してない」
彼は、生活保護のケースワーカーを希望しているという。
もう、私は、彼は在日に生活保護を与えるためにその部署を希望していると邪推する。
根拠はある。
朝鮮文化だ。
韓国では、金大中以外の前大統領は、全部逮捕されている。
たいていは、身内の不正蓄財が原因だ。
金大中は、ノーベル平和賞をもらったので、お目こぼしにあっているか、後継者のノムヒョンが彼とほとんど同じ路線(親北朝鮮)なので、まだ大丈夫といったところだろうか。
朝鮮人の文化では、一族の中の才のある者を一族がそろって応援する。
そしてその者が権力を得た暁には、一族に恩を返すことをあたりまえのように求められる。
一族が一体となっているのだ。
犯罪者でさえ、身内だという理由でかばうことが当然とされている。
恩を返さないことは、道にはずれたことである。
ここで「一族」と書いたが、それはある時は住んでいる地域になり、あるときは国になる。
<身内と他人>という図式が、わかりやすい。
【身内・我々(ウリ)】と、【よそもの・他人(ナム)】の差が、天と地ほども違う。
身内をひいきするためなら、どんなウソも卑怯さも、正当化される。
ナムである第三者が、そのために死ぬようなことになってもかまわない。
身内をかばうため、法廷でも偽証が多い。日本の700倍近いというケタはずれの数字もある。
現国連事務総長の潘基文も、韓国人として例外ではない。
韓国人ばかりを重要部署に採用し、大問題になっている。
今になって驚いていることのほうが、驚きだ。
韓国人ウオッチャーなら、最初からこうなるのはわかっていた。
潘基文ほどの、国の良識ともいえる人間でさえ、こうなのだ。
この川崎市の職員の場合も、とてもとても身内(在日)びいきしないとは信じられない。
後ろに民団がついているということは、「しないはずがない」である。
生活保護を在日ばかりに適用させ、困窮した日本人を冷遇することは、朝鮮人にとってはふつうのことだということを日本人は覚えておかなければならない。
別に、権利を与える必要もないものに、「欲しがられたのに拒むのは可哀想」などと悩む必要はない。
サクっと無視すればいい。
「そんな在日ばかりではない。《いい在日》もいる」と言う人が必ずいる。
いるだろうが、いい在日は日本で韓国籍のまま公務員にしろとは言わない。
金本大祐さんのような要求をする在日は、私生活でどんな人であれ、日本人にとっては100%悪い在日と考えて間違いない。
彼は、韓国人が日本であらゆる権利を享受するための「前例」をもぎ取るための尖兵だということを、心しなければならない。
参考:
参考その2:
★パン・ギムン(潘基文)主催の国連コンサートにて、「東海表記」&「独島は韓国領土」パンフが配布される
参考その3:国連事務総長が、韓国人たちを重要ポストにつけていることを問題視するワシントンポストの記事
Under U.N. Chief, Koreans in Key Posts