・・・日本は朝鮮を植民地にはしてないし、在日は強制連行で日本に来たわけじゃない!基本です。


by sayuriko00
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光市母子殺害事件に思うこと(死刑について)

死刑廃止論者の弁護士たちが、第三者からはとんでもなく見える弁護を展開し、彼らの思想がますます一般人からうろんな目で見られるようになるという、自爆を演じてくれました。

人の命は大切。だから、死刑には反対。
死刑は国家が犯す殺人である。

今まで聞いてきた死刑廃止論の根拠は、こんなところでしょう。
ただ、「人の命が大切だからこそ、死刑があるのではないか」という本村さんの意見には、目からうろこが落ちた思いです。
彼は、こうも言いました。
今までの裁判では、前例が重視されていた。その中では、2人殺したくらいでは死刑にはならない。
・・・要するに、光市の事件では、当初は無期懲役が言い渡されていましたが、それは前例から自動的に導かれる結論である。ということは、裁判なんて、何の意味もないというに等しい。

裁判では、その事件の詳細、過程などが酌量されて、刑が決まる。
何人殺したから、死刑というトコロテン式に刑が決まるのなら、殺人者は最初から自分が死刑になるか(ならないか)判断できるはずで、
そのことは、死刑といえども殺人の何の抑止力にもなってないことを意味する!!
本村さんは、1人殺しても死刑になるということでなければ、死刑に抑止力があるかないかはわからないと言っておられました。

まさしく、そのとおり。
死刑廃止論者は、「死刑にはたいした抑止力がない」と言ってます。
また、今回の死刑判決については、「相場から言って重過ぎる」とも。
「相場」を言うからこそ、抑止力がなくなっているのに気づいてもらいたいです。

「相場」という考え方を、裁判ではまず無くしていかなければならないと思います。
犯罪は、ひとつひとつ、違うもの。だから、時間をかけて裁判をする。
相場を当てはめるのはおかしい。

死刑廃止論者も、また現代に生きるわたしたちの大方もが、根本的に大きな勘違いをしていると思います。
それは、
「人命は限りなく重い」という考え方です。
「人一人の命は、地球より重い」というのもありますね。
そして、「だから、命を奪ってはならない」
「死刑は、国家による殺人(命を奪うこと)」

でも、「人命は重い」というのは、客観的な真実なのでしょうか?
そうであるわけがありません。
それは、人間の希望的観測とでもいうものです。
人が、世界のいろんな場所で、いろんなことで(事故や病気で)、どんなに簡単に死んでいることか!
人の命も、ただの地球上のほかの生物と同じ価値しか自然にとってないのは明らかです。
それを指して「重い」と言うのは人間の傲慢ですらあるかもしれません。

ただ、間違いなく言えるのは、「自分の命は重い」と一人一人が感じていることです。
・・・そう思えなくなる人もたまにはいるかもしれませんが、本能的に人は「生きたい」と共通して思っています。どんな生物でもそうでしょう。
「自分の命は重い」「自分の家族の命は重い」「自分の好きな人の命は重い」。
感情移入の対象の命は重くあってほしいのです。
人間が感情移入できる動物の命も重くなります。
(特定の国では、クジラに感情移入してクジラの命が重いようです)

そして、だからこそ他人の命、他人の家族の命の重さもわかるのではないでしょうか?
だから、みんなの命を尊重しあう。
「人命が重い」というのは真実ではなく、約束ごとです。「重い」ということにしているのです。
みんながそうしてはじめて、安心できる社会が成り立っている。
人間社会というのは、「人の命は重い」とする点で「特異空間」とでも言う場所になっています。

殺人という罪を犯したものは、他人の命を軽く見たものです。
約束事を故意に無視したものです。
その瞬間、彼の命は「特異空間」からはみ出して、本来の重さに、自然にとっての人間の命の重さになったと思います。
自然の中では人間の命など軽いもの。

彼の罪は、裁判によって裁かれます。
また、殺人を犯すに至った理由もちゃんと酌量されます。
それでも、死刑がふさわしいとされたものに対して、
「命は重いから、死刑は不当だ」というのは、理由にならないと思います。

文章が下手で、説得力のなさに泣きます。
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by SAYURIKO00 | 2008-05-10 01:28 | その他